気まぐれ日記 09年7月
09年6月はここ
7月1日(水)「中村勘三郎さんと海部元首相・・・の風さん」
昨夜、何とかα社の雑誌向けの連載原稿第3回目分を仕上げて、メール添付送付した。野村先生のご遺志に応えることができた、と自分では思いたい。
睡眠不足だが、一段落した清々しさで自宅を出発した。幸い、雨もまだ降って来ない。天気予報は下り坂である。駅まで送ってくれたワイフに「行ってくるよ」と手を振った。
本当は読書をする作戦だったが、東京までほとんど爆睡だった。こだまのグリーンは、ゆったりして静かな読書空間でもあったが睡眠に最適な空間でもあった。
東京駅近くのホテルのレストランで、β社の編集者と落ち合った。足掛け3年にわたって進めている企画で、28日(日)に1章分の原稿を送ってあったので、やっと打ち合わせができたのだ。
約2時間もの綿密な話し合いで、今後の方向性が見えてきた。頑張らねば。
ホテルにチェックイン後、少し体を休めてから、四谷の弘済会館へ向かった。第46回「長谷川伸の会」である。雨はまだ降って来ないので、蒸し暑さはそれほどでもない。しかし、ネクタイはまだせず、上着もケースに入れたままだ。
今年の長谷川伸賞は歌舞伎の中村勘三郎さん。勘三郎襲名前は勘九郎と言った。同年代の私は、勘九郎さんが子役スターとして活躍していた頃から知っている。先日、シネマ歌舞伎『刺青奇遇』で感動させられていたので、お会いするのが楽しみだった。
8年連続で司会役をしている私の役得として、例年、受賞者や祝辞を述べる招待者と親しく話ができる。
控え室で勘三郎さんと二人きりでしばらく打ち合わせをしたが、「何かご希望はありますか」とお尋ねしても「特にありませんので、そちらの良いようにやってください」と腰の低い回答だった。当日配布の受賞者を紹介するチラシを熱心にご覧になっている様子が、最初は何か失礼なことが書いてあるのをチェックされるのではないかと心配になったが、そうではなく、役者としての常識的な行動のようだった。一種の台本読み。私が「映画の『ちびっ子ギャング』に出ておられる頃から存じ上げていますよ」と言ったら笑っておられた。
勘三郎さんは、「現役の歌舞伎役者の中で、最もたくさん長谷川伸の原作を演じているのが私です」と自信たっぷりに述べられて、いかに長谷川作品を愛しているかを示してくれてうれしかった。
祝辞を述べる松竹株式会社代表取締役社長の迫本(さこもと)さんも気さくな方で、たくさんある肩書きの中から、私が選んだ3つを、「それで十分です」とあっさり承諾してくれた。
今日はSPまでやって来た。海部俊樹元首相ご夫妻もお祝いに駆けつけてこられるというのだ。授賞会場の中で座られる席を相談して決めた。新鷹会の平岩弓枝理事長とも相談し、元首相には、せっかくなので、ぜひお祝いの言葉を頂戴しようということになった。
その海部元首相がやって来て、新鷹会の辻真先先生が「私は辻寛一の息子です」と自己紹介した頃から、「長谷川伸の会」は一気になごやかなムードになった。辻寛一さんは代議士で、海部さんの先輩にあたる。地元は名古屋である。
迫本社長の祝辞のあと、司会の私が海部元首相ご夫妻がお祝いに駆けつけてこられていることを紹介し、「どうでしょう、皆さま、ひと言、お祝いのお言葉をたまわるというのは?」と水を向けると、満場の拍手となり、天才的な演説家の登壇となった。そして、自分が文部大臣だった頃、受賞者である当時の勘九郎さんが、自分の父親に勲章を上げてください、と陳情してきたエピソードを語ってくださった。
授賞式の勘三郎さんの様子を拝見していると、次々に登壇される方の言葉や、私のつたない司会ぶりも含めて、実に熱心に耳を傾け、何度も頷いておられる姿が印象的だった。これは、役者としての(作家も同様だが)、人の一挙手一投足に鋭い観察眼を働かせて、その人の行動の本質を盗んでいるのだと思った。つまり芸を盗んでいる、勉強しているのだ。その一方で、イタズラ好きな腕白小僧のような人柄もちらちらと垣間見えて、微笑ましかった。
勘三郎さんの芸歴や受賞歴を見ると圧倒される。中村勘三郎の息子として生まれ、厳しい修行に耐えながら、周囲の期待に応えてきたその精神力や努力に頭が下がる思いがした。
第二部の懇親会で、勘三郎さんや海部元首相と一緒に写真を撮らせてもらった。ミーハーの鳴海風でもある(笑)。海部さんにはしっかり会社の名刺を渡して、「私も地元です。自動車業界の不況脱出に尽力してください」とお願いした。握手してくれたが、この不況は手ごわい。それにしても頂戴した海部さんの名刺は立派だったなあ。
7月2日(木)「野村先生のご遺志・・・の風さん」
昨夜は早めに寝たのだが、イマイチ疲労がとれていない。頭が痛い。昨日出発するときに、頭痛薬を忘れたのが悔やまれる。
ゆっくりと準備してホテルをチェックアウトした。今日は天気予報通りに雨である。
午前中は国会図書館である。開館直後に到着。すぐ向かいが国会議事堂。つまり、海部元首相がかつて何度も通った仕事場だ。
荷物をコインロッカーに預け、登録カードを利用して、すばやく館内へ。あらかじめ調べる史料はネットで確認し、印刷済である。館内のパソコンから書誌コードを入力すると一発で請求したい史料がヒットした。とりあえず3冊を請求。
この3冊が出てくる前に、国際人事典がある議会官庁資料室へ。それを借りて、複写依頼へ。うまくコピーが手に入った。こいつは、しょっぱなから順調な滑り出しだ(^_^)。
請求してあった3冊が出てきたので、複写室へ直行。1冊が失敗だった。目的の資料を含んでいなかった。他の2冊の中の必要なところを複写依頼している間に、失敗の1冊を返却して、すぐ目当ての雑誌を検索したが、なんと国会図書館になかった! 複写が終わった頃に、コピーを受け取り、本を返却してまた次の本を借りて……、そうこうしながら、今度はマイクロフィルムの請求。
早くも昼近くなってきたので、マイクロフィルムが出てくるまでの時間を利用してレストランで昼食。急いでいたので、珍しく平凡なナポリタンスパゲティ。きのこが一杯入っていた。
雑誌カウンターでマイクロフィルムを借りて、電子資料複写室へ駆け込んで、目指すページを探したが、これに手こずった。やっと見つけたのだが、3巻のマイクロフィルムから複写依頼を作成するのは時間がかかる。
結局、予定より30分以上オーバーして国会図書館を撤収。
外はまだ雨。うっとうしい。今夜は通夜なので、白いファイシャツに黒いズボンをはいていて、これも実にきゅうくつだ(単に太ったせいだが)。
地下鉄を乗り継いで、新人物往来社に到着。この時点でもうヘロヘロ状態。
1時間の予定が20分だけの打ち合わせ。超高密度である。
すぐにまた地下鉄を乗り継いで、「高輪台」駅へ。ここでγ社の編集長と合流。
目的地はギャラリーオキュルス。議員宿舎のすぐ近くだ。どうも昨日今日と政治家と縁があるな。
ギャラリーオキュルスでは、高山ケンタ展をやっていた。色使いや本の構成、文章など、あらゆる点が気に入ってしまった私は、すっかり高山ケンタさんのファンになってしまい、来年γ社から出版予定の本に、ぜひケンタさんの挿絵を、ということで編集長を同行したのだ。
実は、ケンタさんとこれが初対面だった。若くて繊細な印象の方だった。展示してある絵(主に油彩)はどれもすばらしいものばかりで、感動した。
編集長もすっかり気に入ってくれ、私の作品だけでなく、別の仕事まで検討を開始したほどである。
ケンタさんの絵が元で、こんなことがあった。森ミドリさんとのコラボレーションが実現したのである。ケンタさんの絵を映し出しながら、森ミドリさんのチェロの演奏をバックに、ケンタさんが詩を朗読するというものである。ケンタさんは、「こんなこと、全く予想もしていなかった表現活動で、でもとても気に入りました」と言っていたが、ギャラリーのオーナーが「森ミドリさんが近くに来ているから呼んできますね」ということになり、なんと、森ミドリさんが現れた(笑)。
私が渡した名刺を見て、ミドリさんが「おや、美浜町って、内海の近くだ」と言い出した。「よくご存知ですね」と私が感心すると、「わたしゃ、名古屋だがねー」と名古屋弁で種明かし。昨日の海部元首相や辻先生と名古屋の話題が出たが、今日も名古屋の話しになるとは、驚き。
ギャラリーのオーナーが、しっかり新人物文庫『円周率を計算した男』を森ミドリさんへ渡してくれた。あとでオーナーへ送っておかなければ……。
1時間の滞在で、編集長と別れ、私は品川駅へ。
コインロッカーへ荷物を預け、通夜に参列するだけの用意をして、JRと地下鉄を乗り継いでセレモニーホールへ向かった。
野村先生の通夜は、会場は狭かったが、参列者が多くて、盛大だった。祭壇とは別に生涯の全作品を並べた台があり、生前、ご自身の過去や自慢話を一切されなかった先生の、最後のご開帳だった。塩原温泉和泉屋旅館の社長も来られ、塩原温泉勉強会のときに書かれた色紙を持参し、それを飾った。「箒川はれのちはれの鷹つどう」美しい筆致である。そのときの勉強会の記録を「大衆文芸」に寄稿した。タイトルは「はれのちはれの鷹つどう」である。つまり、新鷹会に参加して1年目の私(当時34歳)は、色紙に揮毫する野村先生の姿に感銘を受けたのである。
遺影は紋付姿の先生で、これも生前晴れがましいことを嫌っていた先生の、最後の晴れ姿だと思った。
最後に、棺おけを開けてくれ、お別れをすることができたが、とても美しく安らかなお顔で、不肖の弟子としてはうれしかった(涙)。
通夜式後、酒肴が出た。出版関係の人がいたので、新鷹会の後輩を紹介した。野村先生のように小説作法の指導をするだけの実力はないが、後輩が世に出るために、何でもやってあげようと思う。それが野村先生の遺志であり、長谷川伸先生からの伝統なのだ。
新人物往来社の大出社長と一緒に、セレモニーホールを後にした。
帰りの新幹線でも疲れて爆睡してしまった。
帰宅してが、終日頭痛は去らなかった(我ながら我慢強いな、と思う)。
死ぬな、鳴海風!
7月3日(金)「ちっぷちっぷちゃっぷちゃっぷらんらんらん♪・・・の風さん」
今日は早朝から、ワイフが実家のお義父さんや義妹と日帰り旅行「さくらんぼ狩り」に出かけるので、私も頑張って早起きし、しっかり駅まで送った。
それにしても今日は腰が痛い。
久しぶりに出社した。今夜は職場の飲み会だったが、やることが多いので、ドタキャンすることにした。
午前中はたまっている仕事を超高速で片付け、昼食を簡単に済ませ、売店で注文してあった会社のロゴマーク入りポロシャツを受け取ってから(愛社精神旺盛な風さん)、本社へ出張した。
来週のセンター歓送迎会の会費を支払い、重要な会議を終えた後、社内の旅行代理店に寄って、ドイツでの学会発表のための旅費の見積もりをお願いをした。これは、大学に補助金を申請するためである。ケータイでチェックしてみると、修正論文に対する再審査結果はまだ出ていなかった。というか、締め切りが3日延期になっていた。
職場の飲み会のために大金をカンパし(東京へ行く前に膨らんでいた財布が、これで空になってしまった)、雨の中、ミッシェルを安全運転しながら帰宅した。
家には猫が2匹留守番しているだけだ。
今朝、家中の窓が開いていたので、急いで閉めて回っているうちに、シルバーがリビングで(目の前で)オ@ッコをしてくれた。ちょうど蛍光灯をつけたので発見したのだ。まだ生暖かいオ@ッコ溜まりの中で、両手両足を濡らし、ちっぷちっぷちゃっぷちゃっぷらんらんらん♪していた。
急いで抱き上げて風呂場へ閉じ込め、私が雑巾を持ってきて床の掃除を始めた。
本当にやってくれるぜ。
そうこうしているうちに長男が帰宅した。
「おい。もう少し、早く帰宅すれば、シルバーのオ@ッコの拭き掃除ができたのに、残念だったな」
私は負け惜しみというか愚痴をたれた。
ワイフが予定よりも1時間も早く帰ってきたので、からくも駅まで迎えに行けた。
雨が降っていたので、この迎えのために飲み会をドタキャンしたとも言える。
夕食後、11日のジュンク堂大阪本店でのトークセッションのための旅行計画をやっと立てた。
安く行くため、ぷらっとこだまを検討したが、既に満席だった。
なかなか出せなかったメールをいくつか出したところで、もうエネルギーが切れた。
7月4日(土)「一気に気まぐれ日記を更新・・・の風さん」
今朝も腰が痛い。
普通に起床した。ゆっくりできるのは、今日1日だけだろう、と思いつつ、それでも普通に起きてしまうのは、貧乏性か(笑)。さらに、朝から用事で名古屋へ出かけるタフさ。
今日は読書くらいやろう、と意気込んだが、腰が痛くて、さっぱり能率が上がらず。電車の中でもほとんど読めなかった。
用事が終わって帰ろうとしたら、モバイルパソコンが異常を示したので、とうとう壊れたのか、とショックを受けたが、何とか復調した。やれやれ。
メールチェックすべきものも大量にあったが、やりきれなかった。
とりあえず、気まぐれ日記の更新だけは頑張った。1日から4日までの分だ。すっごい量。
夜はシルバーのう@ちの世話も大変だった。これは少ない量(笑)。
明日も早朝から頑張ろうと、階下へ降りたら、またまたシルバーのオ@ッコを発見!
雑巾がけしているところへ、トールを終えたワイフもやってきて、ひと言。「ごくろうさま」……じゃなくって、「ちこりで作った44度の焼酎飲む?」だって! 目の前が暗くなった(笑)。
7月5日(日)「今日は何の日?・・・の風さん」
たっぷり寝たかと思ったが、今朝も腰が痛い。椎間板ヘルニアになりそうだ。姿勢が悪いからなあ。
午前中は某新聞社から依頼されている原稿の執筆に着手した。
昼食後、ケータイが壊れたという次女を連れてケータイショップへ。必要書類が足りず、もう1往復してしまった。ますます腰が痛くなった。
帰宅後、ベッドに倒れ込んだ。
長男が昨夜の夜行バスで上京している。水樹奈々のコンサートを観るために出かけたのだ。社会人になって30年間、ほとんどテレビを観ていない風さんは、水樹奈々を初めて知った。それによってうちの長男が普通に育っていることを再確認した。ひとまず安心ということか。それにしても、秋田や仙台で育った風さんにとって、学生時代に本物のタレントを肉眼で観ることなど想像もできなかったな。
それよりも、今日は石原裕次郎の23回忌が、国立競技場で営まれたのだ。今の私の年齢よりも若い52歳の時に亡くなってしまったのだから、短い生涯だったことになる。
また小樽へ遊びに行けるように頑張ろう。裕ちゃーん!
7月6日(月)「また守り神あらわる!・・・の風さん」
早起きして電車で出社した。幸い、雨もほとんど降っておらず、通勤は快適だった。持参した本も車中で読むことができた。
会社の昼休みにも、久しぶりに英語の勉強ができた。
やることは死ぬほどあるが、過密スケジュールの先週をのりこえて、ゆるゆると滑り出した感じ。
帰宅したら、またシルバーのためにパニックになっていた。
ソファの近くで粗相をしたそうで、汚れたカバーをワイフがコインランドリーまで洗濯に行って帰ってきて、すっげぇ、不機嫌。無理もないか。
夕食後、次女を迎えにワイフが行ったのだが、帰宅しての報告。またまた玄関周辺にへびが出現! 震える次女に言ってやった。「うちの守り神だから、頭でもなぜてやりな」
風さんはへび年でした(^_^)。
7月7日(火)「ドイツでの発表が確定・・・の風さん」
昨夜は午前零時に就寝し、今朝は7時に起床したので、体調がいい。きっと今の私の体力には、これくらいがちょうどいいのだろう。ところが、少し無理するだけで、もうダウン寸前になってしまう。
七夕である。朝から少し天気は怪しかったが、何とかもった。
会社でも、必死に雑務を片付けながら仕事もした(どういう意味だ?)。
あ、そうそう。10月のドイツでの学会発表が、正式に確定した。Final Manuscript が Accept されたからである。その勢いで(?)、今年から始まるJMAの生産技術検定CPEのプレテストのオンライン設定もやってしまった。3時間もかかるテストなので、体力勝負となる(?)。
退社し、いつものように田舎道を選んで走った。最後に、久しぶりに海岸線を走ってみたが、蟹が横断していて、あやうく踏みつけるところだった。あぶねえあぶねえ。
今夜も早寝して、明日も頑張ろう。
7月8日(水)「多忙の話題よりヤモリ・・・の風さん」
今度の土曜日に、ジュンク堂大阪本店でトークセッションをやらせてもらう。自分から売り込んだので、客が入らないとカッコ悪い。それで、あちこちへ連絡して集客の協力をお願いしているのだが、とっても不安である。
今日は水曜日だが、その準備がまだ終わっていない。先月の新宿店と全く同じでは芸がないと思うのが風さんのキャラなので、あれこれとアイデアを練っている。
それにしても、先週アシュレイが不調になったので、今回は違うノートパソコンを持って行くつもりだ。それがちょっと不安でもある。
来月の講演の準備も進めなければならないし、書かなければならない原稿もいくつかある。
また、英語に続いて、来月、生産技術の検定試験を受ける予定なので、その勉強もやらねばならない。
さらに、大学院博士後期課程の最後の年である。年末までに博士論文に仕上げることを考えると、ぼやぼやしているわけにはいかない。おっと、その前に、ドイツでの発表もあった(^_^;)。
今日も帰宅したらシルバーがリビングで粗相をしたと聞いた。どんどん悪化している。
ワイフが不機嫌だと思って警戒していたら、「ちょっと見て!」と明るい声。またキッチンの窓の外にヤモリがへばりついていた。もう珍しくもないので、すぐに食卓へ戻って新聞を開いていたら、「ちょっと見て!」という声がまた響いた。新聞をたたんで「どうしたの?」と近寄ったら、「尻尾を震わせていると思ったら、オ@ッコとう@ちをした」と言う。
よく見たら、ヤモリはさかさまに窓にへばりついている。これじゃ、オ@ッコとう@ちは、顔にかかったに違いない。しかし、こいつ、うちの守り神のへびに食われなければいいが……。
7月9日(木)「今日は元気のない風さんの巻」
来月早々軽井沢までロングドライブをするので、8月予定のミッシェルの12ヶ月点検を、来週中にしておこうと、いつもの中古車屋を予約した。ついでに、少し改造も加えるつもり。周辺は不景気風が吹いているので、少しは贅沢もしてみたい(これまでやり過ぎー、とツッコミを入れられるか……(笑)。
やることが一杯あるが、なかなか進まない。結局できるところから手をつけているだけだ。わざとそうしているのではなく、重要なものほど、知力と体力を必要とする。帰宅してから手をつけようとすると、そういった重い仕事は、やはり難しいのだ。だから、とりあえず、やれるところからやっておく。どうせいつかはやらなければならないのだから。こう書けば、鳴海風が普通の男だということがすぐに了解されるだろう。そう。私は普通だ(狂人が「私は狂っていない」と叫んでいるのに等しい、とやはりツッコミを入れられそうではある)。
定時後、職場の大規模な歓送迎会があって出かけたが、不景気の影響で会費も安いが料理も少ない(今日もらった賞与の金額は激減していた。仕方のないことだが)。何となく気勢が上がらないし、やはり私は忙しいし、帰宅後のわずかな時間が大事なので、1時間で失礼して帰ってきた。
そうやって時間を作っても、やはり書斎でやっていることは、とりあえずの雑用で、やれることから手をつけている。とほほ……。
7月10日(金)「アンハッピーな1日・・・の風さん」
昨夜の就寝は、少し読書をしたため遅くなった。それで、今朝は寝不足のまま起床。大事な週末なのに朝から暗雲がたれこめた。もしかすると今日の終わりはアンハッピーかも。
腰痛を感じながらミッシェルに乗り込んでアクセルを吹かした。運動不足が体調にも影響している。エアコンを効かせていても、何となくハンドルを握る手が汗ばんでいるのは、精神の不安定さを示しているに違いない。
昼休みが忙しかった。
正午と同時に、新人物往来社からケータイに電話があり、明日のトークセッションのことで、中経出版大阪営業所と打ち合わせが必要になった。
食事をしながらの話題は、やはりボーナスのカットで、単身赴任中の人は、不審に思った奥さんから問い合わせの電話を受けたと言うし、昨日明細票を開いてショックを受けたため、奥さんに渡せないまま会社に出てきた人もいた。多くのサラリーマンが、ほぼボーナス半減の痛みを味わうわけで、消費の冷え込みはさらに加速されるだろう。そして、不満の矛先は、現政権に向けられる……。
現金が手元に乏しくなった風さんは、CD機からキャッシュを引き出した。1万円札が実に薄っぺらに見える。それから、席に戻って、英語の勉強をした。涙ぐましい努力だ。
残った時間で、明日の大阪取材のことなどを考えた。
帰りにミッシェルに給油して帰ったが、リッター10km走っていなかった。燃費までが風さんを痛めつける。
夕食後、ワイフが洗面所に入ったら、悲鳴!
この夏、最初のゴキの出現である。
書斎で明日のトークセッションのスライドを整理している間に、阪神−巨人戦が延長に入り、12回の表に巨人が2点を入れて、阪神は逆転サヨナラできなかった。
やはりアンハッピーな1日だった。
7月11日(土)「大阪本店でのトークセッションは無事に終了・・・の風さん」
阪神が負けた翌朝の寝覚めはよくなかった。当然か。
黙々と準備をして家を出た。荷物が多く、足取りも重かった。
しかし、梅雨が明けない中、何とか雨の心配はなく、おまけに真夏の日差しの心配もなさそうだった。
名鉄電車の中で、若い女性二人連れの大声の会話を聞いていると、テレビから抜け出たお笑い二人組のような気がした。そうか。若者の風俗はテレビの影響が最も大きかったのだ。社会人になって早30年、浮世から距離を離れている間に、私は仙人のようになってしまったのだ。頭の中も風貌も。
名古屋駅で会社の同僚と落ち合い、新幹線に乗り込んだ。今日いち日、行動を共にしつつアシスタント役をしてくれるのだ。
大阪駅でコインロッカーにほとんどの荷物を預け、御堂筋線で天王寺駅へ向かった。
お好み焼き屋で昼食を摂り、徒歩で、取材先を順に歩く。これまで点でしかなかった取材先が、今日、線で結ばれ、大阪の地図の中で面になっていくのだ。
四天王寺、統国寺、浄春寺、吉祥寺そして生國魂神社。生國魂神社では、ちょうど夏祭りの真っ最中だったが、夜間が本番なのか準備中の夜店がほとんどだった。同僚には鎌田俊清の門人が掲げた算額のレプリカを見せることができた。同僚の息子さんも学校で算額見学ツアーに行くことがあるという。
地下鉄で移動して、マックシェイクを飲んだ後、間長涯天文観測の碑を見、徒歩で本町4丁目へ。そのあたりに麻田剛立の先事館があったのだ。間重富の十一屋質店からも、高橋至時の屋敷からもほぼ同じ距離にありそうだった。徒歩で30分とかかるまい。
再び地下鉄で梅田に戻り、コインロッカーに預けた荷物を出して、やっと今日の目的にとりかかることに。
中経出版の営業マネジャーと合流して、ジュンク堂大阪本店に向かった。昨年、大野優凛子さんのトークセッションを聴きに来たが、その1年後に自分がやりに来るとは、そのときは想像もしなかった。
早速会場の準備にとりかかった。この間、アシュレイの調子が悪くなったので、今日は、別のノートパソコンを持参している。掲示物もあるし、持参してきた小道具類も多い。椅子の配置なども相談して決め、事前に10冊にサインもさせてもらった。
新人物往来社の大出社長もみえたので、前店長の福嶋さんとコーヒーを飲みに行き世間話。業界の話が聞けてためになった。
再び会場に戻ると、大入り満員だったので驚いた。知人がちらほらと笑顔を向けてくる。疲労困憊していたが、やる気が出てきた。
昨夜の阪神戦から開始したら、反応してくれたので、とりあえずスタートは切れた。
予定通りに1時間と10分で話し切った。分量的には1時間半ものだったので、聴衆にとっては消化不良だったかもしれない。すみませんm(_ _)m。
それでも質問が3つも出て、手応えを感じた。
終わるとサインの列ができた。片付けがたくさんあるのに、長蛇の列を眺めて焦った。
サインを求めてきた人のほとんどが、誰かの紹介者で、要はサクラだった(笑)。それでも、書店側から「37冊も売れました」と報告があり、ひとまず安心した。これならまたやらせてくれるだろう。
疲れきっていたが、同僚に助けられて新大阪駅まで戻り、お土産にまた豚饅(ぶたまん)を買うことができた。これでワイフの非難を浴びることはない(どういう非難だ?)。
帰りの車中では、同僚とビールを飲み、1日が無事に終わったことを祝した。
早めに帰宅できたが、それでも片付け物を終わったら、もう午前零時を回っていた。早速、豚饅を1個食べ、ワイフは超ごきげんになった。
7月12日(日)「休養日・・・の風さん」
たまりにたまった疲労をとるために昼過ぎまで寝ていた。
当然朝食は抜きで、いきなり昼食になり、豚饅を食べた。美味い豚饅で元気も出る。
中日新聞から依頼されている原稿に取り組んで、夕方までにほぼ完成させることができた。
色々と仕事はあるが、次の大物は、軽井沢での講演の準備だ。いくらか勉強し直して、全体構成を考えなければならない。読書をするにも体力が必要だ。しかし、今日もトレーニングに行っている時間的余裕がなかった。
7月13日(月)「鞍上ドライブ妨害・・・の風さん」
梅雨が明けそうな明けそうもないような、中途半端な空模様の中、ミッシェルで出社。
しばらく走ってお気に入りのカントリーロードに入ったと思ったら、とろとろ走るクルマに追いついた。すっげえ追随しずらい運転。のろいだけでなく、こっちがアクセルから足を離しても、すぐに追いついてしまうのだ。しかも、前のクルマはブレーキランプが点灯していない。分かるね?
それが、なんと、リアウィンドウに貼ってあるシールから、同じ製作所に勤務している人間だということが分かって、げんなり。こういう人は、クルマは単に移動手段で、運転を楽しむようなことはしないのだ。
快調なドライブは、私にとって三上(鞍上、枕上、厠上)の一つ、鞍上と等しいのだが、これでは、良いアイデアは浮かばない。
暑さに耐えながら、大いに気力、体力を消耗した1日を終えて、家路についた。帰りは邪魔なクルマもなく……と思ったら、先行車が多い。また、ドッと疲労感が襲ってきた。
夕食後、昨日書き上げた中日新聞夕刊向けの原稿を手直しし、電子メール添付で送付した。
難点がいくつかありそうなので、1日早い提出である。
7月14日(火)「日本のモノづくりは大丈夫・・・の風さん」
久しぶりに他社見学ができた。関ヶ原製作所というところで、独自技術を生かしてニッチな市場で勝負すること、企業は人なりを実践して社員を大切にしていること、何と言っても創業64年で過去3度の経営危機を乗り越えてきた実績が特徴の会社である。工場敷地内にあるたくさんの石の彫刻も印象に残った。従業員数400人で売上200億円規模の会社だが、まだまだ日本は大丈夫という感じがした。
行きの電車の中では非常に元気で、読書に集中できたが、帰りは疲れて爆睡してしまった。私の体調はまだまだ本調子ではない。
政界は総選挙に向けて動き出したが、結果が見えているだけに、興味が湧かない。真犯人の分かっている推理小説みたいなものだ。税金の無駄使いかも。太平洋戦争末期と同じで、自民党は本土決戦に臨む様相を示していて、民主党に息の根を止められるまで敗戦を認めないつもりらしい。首相は「国民の信を問う」と言っているが、国民はムードで投票することを知らないようだ。血筋が良過ぎて、庶民の感覚を知らないことが、首相のアキレス腱だったのだ。そうは言っても、自民党Aから自民党Bへ政権が移るだけで、世の中はほとんど変わらないと思う。
7月15日(水)「今夜も政治の話?・・・の風さん」
最近忘れがちの勉強会のある15日だ。しかし、もう二度と野村敏雄先生が出席されることのない勉強会である。先生は、亡くなられたのだから。これからは、私も先生のご遺志を継ぐ一人として微力ながら新鷹会のために頑張らねばならない。
昨日の元気さを引きずりながら(?)、ミッシェルで家を出た……ら、またノロマのクルマが目の前を走っている。気分を害したまま製作所に出社。
午前中、本社で会議があり、ミッシェルで炎天下出かけた。本社が近付くにつれて……渋滞。またまた気分を害した。
一人で昼食を摂り、何となく気分が盛り上がらないまま、今度は私自身がちんたら走って製作所に戻った。
暑かった。そう。暑さでいっそうばてる。
残業になり、ライトを点灯して帰宅した。また前をノロマのクルマが走っている。俺って、焦っているのかなあ?
先月まで秋田県副知事だった知人が、霞ヶ関へ帰任した旨、メールが来た。懐かしくもあり、うれしかった。またお会いすることがあるだろうか。とにかく、日本のために頑張ってほしい。
7月16日(木)「家族で外食も悲哀・・・の風さん」
月に1回の長女の帰省があり、夕食は外で摂るというので、早めに帰宅した。
家族5人そろっての外食は、実に久しぶりだ。以前からよく行ったステーキ屋に行った。ソフトクリーム製造機のあるサラダバーが魅力だった。
8時頃到着した。不況のせいか客は少ない。シーズン特別メニューのステーキを注文したら、しばらくして「すみません。アスパラが切れていて、作れなくなりました」と言って来た。さっきお勧めだと言ってたじゃないか、とクレームをつけたいのを我慢して、別のものを注文した。
そのあたりから、どうも変だな、と思い始めた。
サラダバーがやけに貧弱なのである。バラエティさがなく、これはと思う料理がない。しかも品薄。客が少ないだけでなく従業員も少なく、あらゆるサービスが遅れがちなのだ。
メインメニューはそれなりに良かったが、最大の狙いだったソフトクリーム製造機が不調で、とうとう最後まで食べられなかった。何度も不調を訴えていたので、店の方から「すみません」と言ってアイスクリームを持って来たが、なぜか家族5人に対して2個だけだった。
当地へ越してきて20年近くなる。老舗のレストランではあるが、家族全員で来ることはもうないだろう。時の流れはときとして無慈悲な結末にたどり着く。
長女は会社を辞めようか続けようか、まだ迷っているようだ。
7月17日(金)「ささやかなボーナスの使い道・・・の風さん」
あっという間に週末だ。今週は読書が最大の課題だったが、思ったように進捗しなかった。
会社の仕事の方は、比較的落ち着いて取り組めたので、夕方早めに退社して、雑用に取り掛かった。
来月早々、軽井沢までロングドライブするので、1ヶ月早めにミッシェルを12ヶ月点検に出すことと、激減したボーナス(小遣いの話ね)の中から、小物の装着を実行するのだ。それは、小さなフォグランプと車室内用の時計である。フォグランプは、ナンバープレート横の空気取り入れ口に納まるほど小さな丸型で、光量不足のヘッドランプの補助としても期待している。時計は、ダッシュボード下部のナビの画面内にしかなく、運転中確認するのが危険なので、ダッシュボードの上部に新たに装備する。電波時計で、暗くなると青いELバックライトが点灯する優れものだ。
代車は軽で、規格いっぱいの大きさらしく、やけにでかい。難点はパワーがまるでないこと。
それから床屋へ寄って(読書しようと思っていたが、また爆睡してしまった)、とにかくさっぱりしてから、一般道を通って帰宅した。本当に力が出ないな、このクルマ。
今回の直木賞も、長年の努力が報われた感じで好ましかった。私より4つ年上だったので、それも勇気付けられた。来年から本格的に執筆に復活するつもりなので、頑張らねば。
7月18日(土)「のどかな外出(?)・・・の風さん」
9時半に自宅を代車で出発。パワーのない代車でイライラするが、安全運転で走る。某駅近くの駐車場にギリギリで到着した。
電車とバスを乗り継いで愛知県図書館に着いた。ふと立ち木を見ると、セミの抜け殻が枝や幹にしがみついている。もっと上の方にセミがへばりついていた。今にも鳴き出しそうな構えだ。本格的な夏も近い。
長期間借りていた本を返却し、新たに借りる本を物色した結果、学業に関係する本を3冊選択した。ネットで調べた結果、絶版になっている本である。書庫から出たきた本を見たら、かなり痛んでいる。多くの人に利用されたらしい。
重くなったカバンを持って、地下鉄を乗り継いで本山へ。簡単に昼食後、本山キャンパスで大野先生とゼミ。論文を1本読み終えた。
地下鉄と電車を乗り継いで某駅まで戻ってきた。予定より1時間ほど早く、まだ空は明るい。
パワーはないが図体だけはやたらでかい軽で中古車屋へ向かう。不思議なくらいあちこちで渋滞にはまる。土曜日の夕方、どうしてクルマで外出している人がこんなに多いのだろう。
ミッシェルの整備が終わって洗車しているところだった。ディーラーと違って、代車を借りることができ、時間的な余裕があれば、しっかり洗車もして返してくれるので、中古車屋は便利だ。オモチャのようなフォグランプもダッシュボード上の電波時計も違和感なく装着されていた。12ヶ月点検で新たにラジエタータンクの水漏れが発見されたが、とりあえず漏れ防止剤を注入して様子を見ることになった。ボーナスが激減して、お金のかかる修理はできるだけ先延ばししたい。今回の費用は想定内だった。
ようやく家路についた。
今年初めて大型酒店に寄って、缶ビールを1ケース購入した。絶賛していた「プライムタイム」が製造終了になったそうでなく、止むを得ず、それまでのお気に入りだった「エビス」を買った。3色あったが、クラシックなタイプにした。
次第にたそがれていく中、装着した電波時計のバックライトが、自動で青く光り出した。
7月19日(日)「本について・・・の風さん」
私がよくしゃべる作家のせいか、本をいただくことが多い。
しかし、しゃべるのは比較的楽でも、文章にまとめ、いわんや本にすることがいかに大変かを知っているだけに、1冊のまとまった本を手にするたびに、実は重く受けとめている。そして、なかなか読み進めないでいる自分の愚かさに、内心忸怩たる思いなのである。
杉本正徹著『資本主義から人間主義社会へ』(PHP研究所)は、昨今の世相を否定的にとらえているのではなく、むしろ日本の良さにめざめれば世界をリードできるし、そうするべきだと主張している本に違いない。小説家として人間に焦点を当ててだけに、こういった人間主義は理解できる。経営の基本であることも同感である。
秋月達郎著『信長の首』(PHP研究所)を購入した。今年は秋月さんにお目にかかっていないが、先日、中日新聞の文化欄に新刊と一緒に紹介されていた。作家らしい視点を持っている方で、独自の作品が出てくる可能性を感じていたが、着々と仕事をされていたことを知り、同書をネット注文して手に入れた。しかし、読めるのはいつのことやら。
楠木誠一郎著『大江戸神龍伝 バサラA』(角川つばさ文庫)を頂戴した。歴史に強い楠木さんのタイムスリップもので、今やこの分野の第一人者ではないだろうか。こういった作品は、世界的に見ても受けるもので、どれかを試しに翻訳して海外で売ってみたら面白いと思う。日本の文化は海外で高く評価されるのだ。
7月20日(月)「凡人、人生の終幕を思う・・・の風さん」
昨夜、1年ぶりぐらいに家でビールを飲んだ。夕方のトレーニングの疲労もあってか、その後しっかりダウンしてしまい(書斎で)、目が覚めたら日付変更線をまたいでいた(笑)。
酔いが醒めていたので、それから少し仕事をして、シャワーを浴びて、ベッドで読書を始めた。
いい加減遅くなったので、消灯して寝ようとしたが、眠れない。週末からめちゃくちゃな生活をしているので、もう心身がおかしくなっているのだろう。
……ということで、今朝は、ちゃんと目覚ましでいったんは目を覚ましたが、スヌーズを解除した直後深い眠りに落ちてしまった。
40分後に目が覚めて慌てて起床。
それからの1日は、もう筆舌に尽くしがたい行動だった。
きわめつけは夕方から。早めに退社させてもらい、いったん帰宅。それから通夜に参列するためワイフと一緒にミッシェルで出発した。今朝未明亡くなられたのは、ワイフのお父さんのお兄さんである。
帰りはミッシェルでジェットコースターのような運転をしてワイフを楽しませて帰宅した。
人の死に接して、自分の人生の終幕をいつも考えてしまう。
いつ死んでも残った者が困らないようにしたいものだが、野村敏雄先生のように見事な幕引きは難しいだろう。
今朝、その野村先生の「大衆文芸」追悼号についてのお願いを、伊東先生へ手紙で出したところである。
7月21日(火)「追悼、中里融司氏・・・の風さん」
連日、どんよりとした空模様が続いている。今朝もやっと7時に目覚ましで起きたので、ミッシェルで出社するしかなかった。梅雨はまだ明けないが、自宅の庭からもセミが次々に誕生しているらしい。ワイフが抜け殻の存在を教えてくれた。何年も土の中で生きてきた根気のいい奴らだ。
帰宅したら日本推理作家協会から会報が届いていた。開いてビックリ。中里融司さんの訃報記事が掲載されていた。死因は大腸がん。まだ52歳の若さである。
何年前のことだろう。日本推理作家協会の新年会か何かのパーティで知り合った。アニメのテーマソングを聞きながら執筆しているんですよとか、元銀行に勤めていましたとか、けっこう気楽に話ができた。パーティーが終わったあと、銀座の女に連れ去られていく中里さんにくっついて、僕もタクシーに便乗した。文壇バーの近くでタクシーを降りたが、冷淡にも僕はそこから貴族へ直行した。タクシー代を支払ったのは銀座の女だが、きっとタクシー代込みの飲み代を、その夜、中里さんは請求されたに違いない。ごめんなさい。でも、それ以来、年賀状を交換する仲になっていた。
まだ独身だったのではないか。若くしてがんに侵されると、あっという間に死んでしまう。気さくで好人物だった。合掌。
明日の予想降水確率は60%らしい。これでは、日食を観測するのは無理かも。
7月22日(水)「日食は見れず・・・の風さん」
今日は、トカラ列島の奄美大島などで、日本では46年ぶりになる皆既日食が見られる日だった。本土でも部分日食である。
朝起きてすぐ空を見上げたら、昨日の予報よりも期待がもてる明るさで、もしかして、と思った。
しかし、結局、最後まで見ることができなかった。
中日新聞へ送ってあったエッセイは、今日の日食をちゃんと見れたパターン1と、あいにくの天候で見れなかったパターン2の二通りだったが、残念ながらパターン2になってしまう。
そんな失望の中、何とか元気を出して仕事をした。
定時後に始まった会議が長引いた。品質問題は簡単には決着はつかない。
今日は、早めに帰宅してトレーニングへ、とたくらんでいたが、日食以上のあっけなさで空振りになってしまった。
夕食後の書斎での時間もほとんどなく、そろそろ店じまいである。
こうやって、どんどん時間がなくなっていくのだ。
7月23日(木)「あれこれ多忙・・・の風さん」
今朝も昨日と同じようにどんよりした空模様だった。もちろん梅雨明けはない。しかし、それほど蒸し暑くもなかった。
ミッシェルを軽快に走らせて出社した。
来週末の社外講義の準備がはかどった。これは業務なので会社でやってもよい。モノづくりの周辺で知らないことが多過ぎるので、少しでも勉強できるとうれしくなる。
そのお陰で、今年25冊目の読破もできた。
昼休みには英語も勉強した。しかし、いくら勉強してもなかなか記憶できないので、もっと真剣に頭脳を使わねば、と思う。
新鷹会の伊東先生と電話でいくつか相談ができた。野村先生の追悼号については、あっさり決着。
今日も仕事が長引いて残業になってしまった。また、トレーニングを断念。
お陰で、書斎で、少し原稿が進んだ。その一方で、地元の新聞の掲載原稿が少し延期されたので、改稿することになった。
大野先生からメールがあり、懸案事項がいくつか解決した。
今夜も読書してから寝よう(気持ちの上ではまだ焦っているが)。
7月24日(金)「平穏無事な週末・・・の風さん」
梅雨は未だに明けない。ハッキリしない天気の下、なぜか会社の仕事は静かに進行中。あまり妨害も入らず、思ったことがどんどんできた。それで、昨日や一昨日の分を取り戻そうと、定時後あまり遅くならないうちに退社した……ら、一つ仕事を忘れた(笑)。本当にボケは怖い。
帰りに買い物をしてから帰宅した。来週末は出かけるし、その次の週末からは夏期連休に入るので、雑用は少しでもこなしておかなければならない。
帰宅したらシルバーが元気に歩き回っていた。今朝からやけに元気なのだ。そう言えば、私も疲労と寝不足のはずなのに、意外と元気である。おかしい。シルバーとシンクロしている。老人同士ということか。いや、そんなはずはない。きっと、ここのところ昼食は麺を中断して、しっかりご飯を食べているせいだろう。
名古屋の熱田神宮に復元算額が3面ある。普段は公開していない。見学したいという先生方がみえるので、私もちょっと動いて、見学しやすい環境作りをやった。うまく熱田神宮の学芸員の人を紹介してもらえたので、明日にでも電話してみようと思う。
明日はゼミ。朝から英語の論文と取り組む予定だ。
7月25日(土)「大野先生ご夫妻と会食・・・の風さん」
ここのところ、夜は疲れていて仕事の能率がきわめて悪い。
だから、午前中が勝負である。
目が覚めたら、やけに外が騒々しい。セミが鳴いているのだ。梅雨が明けなくても、どんどん地中から湧くように出てきて成虫になっていく。蝉時雨が梅雨空を追い払うだろうか。
熱田神宮の算額見学のための電話し、その報告をしてから、階下へ降りて、英語の文献を読んだ。
いつものように超特急の昼食を摂って、電車で出発。行きの車中でも文献読みを続けた。
ゼミでは、大野先生が絶好調で、文献はどんどん消化されてしまった。お陰で、私の研究の今後の方向性の話になり、ちょっと頭が痛くなった。読んだ文献のお陰で、一つの方向性が出てきたのだが、短期間で進められる代物ではないのだ。結論が出ず、継続議論となった。
いったん大野先生と別れたが、今夜は、大野先生ご夫妻と私たち夫婦とで、長女の働くレストランで会食なのである。
私は、名古屋の三省堂書店で買い物をしてから(私の文庫がまだ平積み状態で置いてあるのを確認してから)、レストランへ向かった。ワイフも合流してレストランの前まで行くと、既に大野先生ご夫妻は到着されていた。
長女の力で、思いっきりサービスされた料理が、次々に運ばれた。私は生ビールの後、グラスワインを2杯飲んだため、足元が危なくなってしまった。あっという間の3時間が経過して、ご夫妻も満足してくれたようだ。
帰りに仕事を上がった長女と会って、少し雑談してから帰りの電車に乗った。
帰宅したのは12時近かった。
シャワーを浴びて、酔いが醒めてきたので、読書してから就寝した。
7月26日(日)「恐怖の空・・・の風さん」
今朝も蝉時雨の中で起床した。しかし、天気予報では、今日も梅雨明けはなさそうだ。
算額見学の件で、今朝も熱田神宮に電話したが、少々話があらぬ方向へ曲がり出した。
今日は、日福大の附属図書館へ資料を閲覧に行く予定にしていたが、念のために再確認したら、その資料は私が求めているものではないことが判明した。双六で言えば「振り出しに戻る」である(笑)。
中日新聞用の原稿の手直しをし、来週の軽井沢夏期大学の講演スライドの準備をしてから、トレーニングに出かけた。幸い、雨が降ってなかったからだ。
トレーニングルームの大きな窓の外には白い芙蓉の花が咲いている。その周りを黒揚羽が飛んでいた。美しすぎる風景は、時として不気味さを伴うものだ。
今日も1時間半たっぷり汗をかいて、体重が0.5kg減ったから、きっとそれくらいの無駄な水分と脂肪が消えたのだろう。水分はまたすぐ吸収してしまうが、燃えた脂肪の量が重要だ。
帰宅しようと体育館の外へ出、空を見上げて思わず立ちすくんでしまった。自分が立っているところから後ろの南の方角は青空も広がっているのに、前方の空は真っ暗なのだ! まるで、黒い壁ができているようだった。
耳をすませば、低く雷鳴が響いてくる。名古屋のあたりは集中豪雨になっているのかもしれない。急いでミッシェルで帰宅した。
シャワーを浴びて心身をリフレッシュさせた風さんは、夕食後も元気に書斎へ出撃。
「技術教室」の連載原稿の続きをやり、中日新聞の手直し原稿にもう一度手を入れてから送信した。
就寝時刻は遅くなったが、頑張るときは頑張るのだ。
7月27日(月)「陰気な天気でも・・・の風さん」
昨日は名古屋は集中的な豪雨で、名古屋に出かけた二人の子供がなかなか帰って来れなかった。
起きてみたら、相変わらず天気が悪い。おまけに今日は、出社してしばらくして地震があった。震度3程度のものだったが、今年の夏は陰気な夏で終わるのだろうか。いやだ、いやだ。しかし、もういい加減梅雨明けしてくれないと、あっという間に秋になってしまう。
今日は会社の相棒が風邪で休んでしまったので、週末の社外講演の準備に専念できた。あとは、相棒が新型インフルでないことを祈るだけだ。
随分はかどったお陰で早く帰宅できたが、中日新聞の手直し原稿に再度提案があったので、2時間かけてまた改稿した。どんどん良くなるのはいいが、次の仕事が……(^_^;)。
昨日に続いて手紙を1本書いた。明日も書ければ、懸案事項の手紙はだいたい終わる。
軽井沢へ向けて、ぼんやりしている余裕はない。
7月28日(火)「うっとうしい日々が続く・・・の風さん」
今日も曇天。
昨夜も就寝が遅かったが、頑張って起床。
ミッシェルで出社。今週中に、走行距離が139000km近くになりそうだ。軽井沢から帰ってくると、140000kmが目前になるだろう。ラジエータの水漏れをはじめとして、まだまだ不具合は起きそうだが、何とか200000km乗りたい。
午前中、福島県から良くない知らせが入った。遠隔地にいる私としては、止むを得ず、兄貴に対応をお願いするしかなかった。
10月にCARV2009で発表するため、ドイツへ飛ぶ。昼休みに、初めて旅行計画を考えてみた。そもそも学会が3日間におよぶことと、4日目に研究所を訪問したいので、あまり遊んでいる時間がない。学会開催地のミュンヘン以外に行けるのは、あと1箇所ぐらいになりそうだ。
本社へ出張し、途中で郵便振込をし、QCサークル発表を聴講した後、子会社の旅行代理店に寄って旅程(itinerary)を検討してもらうようにお願いした。
それから速攻で退社し、久々にウィークデーに体育館に寄ってトレーニングをした。ただし、メニューは30%ぐらいカットして時間を短縮した。うっとうしい雨の中でも、体を動かせばやはりスッキリする。
夜、兄貴から電話があり、対応はほぼ順調に進んでいるようだったので、少し安心した。
3日連続の手紙を書いた。明日投函すれば、手紙関係の懸案事項はほぼなくなる。
7月29日(水)「天国と地獄・・・の風さん」
どうやら大雨にはなりそうもなかったので、久しぶりに電車で出社してみた。
少し雨がぱらついていたが、ほとんど問題なく、往復の車中で読書もできた。
今日は、3日連続の手紙投函も果たしたし、会社でできる雑務はほとんど処理できたので、非常に満足して退社した。
ところが、中日新聞のために提出した原稿が、まだ技術的過ぎるということで、また修正することになった。専門用語をできるだけなくし、平易な文章表現になるように書き直したが、実は、こういうのが自分が最も不得意だということに、ようやく気が付いた(笑)。ということは、これはなかなか貴重な勉強になるということだ。
午前零時過ぎまでかかって、何とか書き直すことができた。
送信したが、掲載はまた1週間延期である。やれやれ。
7月30日(木)「女に好かれなくても蚊には好かれる?・・・の風さん」
昨夜はしっかり寝たような気がしていたが、やはり寝不足だった。終日、頭がボーッとしていた。
それでも、仕事や雑用を少しずつ片付けた。でも、能率は上がらなかった。
久しぶりにほとんど雨が降らなかったので、定時後、製作所内のグランドゴルフ大会があり、予定通りに参加してプレーした。今回で4回目くらいになる。
今日のコースは、ぐにゃぐにゃに曲がったひどいもので、すぐOBになってしまう。まっすぐのコースには、手前に障害物があり、コース設計者の性格の悪さを物語っていた。
OBを一発やらかしてしまったが、おおむね堅実なゴルフで、平均的なスコアをたたけたと思う。
それで、帰宅は遅くなってしまった。
着替えて食卓についてすぐ、蚊に刺された。続けざまに腕も足もである。キンカンを塗りながら被害箇所数を数えてみると、全部で7箇所もあった。
ワイフに言わせると、刺す蚊は雌なので、バチが当っているのだとか。うーん。
7月31日(金)「軽井沢夏期大学へ向けた準備に忙殺・・・の風さん」
1年ぶりの品質管理の社外講義のために名古屋へ出張した。
今回は、事前に新しいことを勉強し、講義に反映した。抜き取り検査の理論を勉強したのである。なかなか勉強をしている余裕はなかったが、今回に限り、会社の仕事とも密接な関係があり、就業時間の合間を縫って勉強した。
また、自分のノートパソコン「アシュレイ」の調子に不安があったので、愛工大の大野先生からお借りしているノートパソコンを使うことにした。先日の大坂でのトークセッションでも使用したのだが、軽井沢夏期大学での練習にもなる。
社外講義は予定通りに終わった。
急いで帰宅して、ミッシェルに給油したり、お土産を買いに出かけたりした。
明日からの講演旅行の準備以外にもやることが多く、中日新聞の原稿対応は昨日で中断してある。
雑務を終えて、やっと旅行の準備になったが、既に午前零時を回っている。今夜は講演の準備までは絶対に手が回らない。
本当にギリギリの生活だ。これで破綻せずにやってこれたのは、奇跡に違いない。
09年8月はここ
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